「なんでだろう」の深堀りで、ドツボにハマる生き方が、愉快でたまらない人生につながっている 〜改めてポップコーンの仕事をスタートした理由〜

やらなくていいと言われたやりたい仕事を、無理にでもすることで、自分の世界観が大幅に、愉快に変わった。

こんにちは!株式会社大泉工場の大泉寛太郎です。
今回は、自分がどんな愉快な働き方(生き方)をしているのか、改めて自分でも過去を振り返りながら、お伝えしたいなと思います。

2022年10月、JUKUBOXという新しい「学舎(まなびや)」の事業が、本格的にスタートします。この事業は、ウェルビーイングに紐づく、さまざまなジャンルの探求を、インタラクティブな形で実施していき、より豊かに生きていくと言うことを目的としています。

↑インタラクティブに、「茶の湯」について語り合う、JUKUBOXの一幕

この事業は、そもそも、今の世の中の「当たり前」に対して、それが本当に正しいことなのか、もしそうだとしても、なんでだろうかと言うことを、探究していくことを目的として、事業化を決めました。

自分は大泉工場に2008年に戻りましたが、同年2月に最後の生産工場を閉鎖して以降、大泉工場は不動産の管理をすると言うことを生業としており、新しい事業には手をつけていなかった。良くも悪くも、守る事業を展開していました。

↑先代が残してくれた、管理物件。この建物が、今の大泉工場の屋台骨となっており、その上にさまざまな事業が成り立っている。

そこに30歳にも満たない、社会経験5年ほどの若者が、次期社長として登場したものですから、現場は混乱しました。
(当時のスタッフ人員は、会長(自分の祖母)、社長(自分の母)、元作業員のおじちゃん3名、経理のおばちゃん1名、清掃係のおばちゃん1名、会長付き運転手1名、平均年齢は、60歳をゆうに超えていました)。

ありがたいことに、不動産の管理さえしておけば、当分は食うに困らないという状況を、先代・先先代が築き上げてくれていたおかげで、そう言った面ではストレスがなかったのですが、若気の至りというのか、エネルギーに満ち溢れている自分は、新しい事業をしたいと、当時の社長と毎日のようにぶつかり合っていました。

「日本にはまだない、新しいポップコーン屋さんをやりたい!」

活字にすると、ちょっと陳腐ですが、その想いを胸に大泉工場に入社しましたが、「NO」の一点張り。。。辛かった(ですが、裏ではガンガン、事業化する準備を進めていました)。

ここからが本題、なぜ「ポップコーン」だったのか。
理念につながる話は以前にも書きましたので割愛しますが、もともと、食に対する関心は高い方でした。
(過去記事「これは「本当に面白い」と思えるものには待っていても、考えていても巡り合えない。」)

↑日本ではまだ街中でポップコーンを食べるという文化はなかった。

例えば、スターバックスコーヒーが、なぜ日本一のコーヒーチェーンになったのか?
上陸当時から、自分はそんなことを考え、深掘りしていました。
「美味しいから」という上部の部分だけでない何かがあるはずだと考え、よく池袋の店舗に行っていたのを思い出します。

なんでこんなに並んで買わなきゃいけないんだ?
なんでこんなに値段が高いんだ?
なんでスタッフのサービスは親密に感じるんだ?
なんで・・・?なんで・・・?なんで・・・・

この深掘りが、自分の発想の根源かなと思います。

しかもこの深掘りの階層が深ければ深いほど(もちろんそれに乗じて解もなければいけません)、その考えや生み出されるものは、魅力を増します。

昔はまった、スーパーファミコンの「トルネコの大冒険」というゲームは、ほんと、そんな感じ。地下の階層に行けば行くほど、モンスターは強くなる一方で、手に入る武器はどんどん強力で魅力的なものになる。ワクワクしながら夜な夜な興じておりました(モンスターハウスには、驚き、絶望したことが多々ありますが・・・)。

↑ゲーム内で物理的に深掘ることを体験した、青春の一本。。。

ポップコーン屋になると心に誓い、活動していた時代の自分は、「ポップコーン」という単語を見かけたら、とにかく手中に収めていました。映画館はもちろんのこと、一人でディズニーランドにポップコーンを食べに行ったり、ゲームセンターのキティちゃんのポップコーンマシンからポップコーンを買ってみたり、AKB48のヘビーローテーションという曲の中に「ポップコーン」という歌詞が入っているだけで、なぜか自分ごとのように嬉しかったし、なんで秋元康さんは「ポップコーン」という歌詞を使ったんだろうとか、真剣に考えたりもしていました笑

↑深掘りの果てに、ポップコーンブームを巻き起こしてしまった。

ポップコーンを深掘ることで、今まで出会ったことのないような人たちとも出会えたし、結果としてポップコーンブームが起き、衰退したわけですが、ここからもなぜ衰退したのかといった深掘りがスタートし、今のWO! POPCORN!やORGANIC、健康志向のプロダクト開発につながっていくわけです。

全くもって、愉快な人生。

そんなわけで、自分が深掘りたいなというテーマが見つかり、それが仕事になると、より愉快に生きることができるのかなって思ったりもしますし、見つからなくても、深掘りしている人たちとの接点を持つ機会(JUKUBOXは、まさにおすすめの場)を創出するだけで、人生が愉快になるのかなと思ったりしています。

大人になり、社会に出ると、なかなか一つのことを深掘り続け、それを生業にして生きていくことが難しくなるようですが、果たしてどうでしょうか?

自分は、ドツボにハマって愉快に生きる(働く)ことが、素敵な未来につながっているような気がしてなりません。

↑今だに街中でポップコーンマシンを目にすると、ドキッとしちゃいます笑

ぜひ、一緒に様々なドツボにハマってみませんか?大泉工場で、お待ちしております。

ABOUTこの記事をかいた人

大泉寛太郎

1981年生まれ。 学生時代より、イベントチームやフットサルチームの立ち上げ、BarなどでDJとして活動。 大手商業施設でテナントリーシングや営業企画、PR、広報など幅広い分野を経験したのち、2008年大泉工場入社、2012年より現職。 アジアからオセアニア、ヨーロッパ、北米、アフリカと世界中を飛び回り、地球の「今」を体感。 「地球を笑顔で満たす」というMISSIONを掲げ、日々、いかに「素敵な環境を創造するか」自問自答しながら生きている。 にゃん丸という愛猫と二人暮らし。