クマが街に来る時代に、私たちが失ったもの

今回コラムを担当します。大泉工場の内田です。

夏が終わり秋に入り、クマの出没が各地で相次いでいます。畑を荒らし、民家に忍び込み、人を襲う。そんなニュースを聞くたびに、恐ろしい事件として片づけてよいのかと考えます。いま私たちが暮らす社会のどこかで、自然のリズムが狂いはじめ、その結果が「クマの出没」として現れているのではないでしょうか。

クマは本来、人を避けて生きる動物です。森の奥深くに縄張りをもち、人間とは距離をとって暮らしています。クマが山を下り、集落に姿を見せるのは、よほどの理由があるからです。多くの場合、その理由は「食べ物がない」ということです。ブナやミズナラの実がならず、森の恵みが細ると、クマは飢えをしのぐために動き出します。温暖化や気候の不安定さによって実りの量は年々変動し、かつては豊かだった山の秋が、次第に貧しくなっているのです。

花が咲いている植物

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2025年大凶作
2024年並 作
2023年大凶作
2022年並 作
2021年凶 作
(東北5県のブナ結実状況の調査結果 東北森林管理局 資料より)

もうひとつ、人間の暮らしの変化があります。林業が衰え、手入れされなくなった森は、下草が生い茂り、光が届かなくなりました。果樹園が放置され、収穫されない実が残ると、クマを誘う匂いとなります。山と里の境界が曖昧になり、かつて「人の領域」ではなかった場所まで人が入り込むようになりました。便利さを求めて道路やレジャー施設を山奥にまで広げた結果、クマの世界を狭めてしまったのです。

(石川県庁 農林水産部森林管理課 資料より)

こうして、クマと人との距離が縮まりました。しかし、それは共存への一歩ではなく、危険な接近です。クマが人里に来るということは、豊かで静かな山が壊れたということです。自然と人とのあいだにあった見えない境界線が、無くなりかけています。

(長野県箕輪町では、「ゾーニング」に取組み、共存に成功している例もあります。)

かつて先人たちは、季節の移り変わりのなかで森の気配を感じ取っていました。秋がくれば、山に実りの季節が訪れる。熊笹の揺れる音や、遠くで響く動物の声に耳を澄ませ、自然とともに生きていたのです。村には「今年は山の実が少ないから、クマが下りてくるかもしれない」と語り合う知恵がありました。その感覚を、私たちはいつのまにか失ってしまったのです。

クマが現れるということは、自然が発している小さな警告かもしれません。森のバランスが崩れ、動物たちが生きる場所が失いつつあると。

クマの姿を見て「怖い」と感じるのは自然なことだと思います。けれど、その恐怖を引き起こす要因、「何が壊れたのか」を考えることこそ、いま私たちに求められていることだと思います。「クマが里に来る時代に、私たちは何を失ったのか」。答えは、動物たちの静かな山の暮らしなのかもしれません。

里に降りてきたクマは、便利さと引き換えに、私たちが失ってしまった自然との距離感を映し出しています。クマを駆除することだけではなく、その状況を生み出した私たちの暮らし方を見直すことも必要だと思います。

大泉工場CAMPUSは科学、芸術、自然を融合させた環境づくりに取り組んでいます。

「素敵な環境を創造する」ために循環型のコンポスト運用やコンブチャの製造の段階で排出される水蒸気や排水、廃棄物などを可能な限り減らし再利用し、地球環境にやさしい循環型農業を実践しています。

ぜひ一度訪れ、体感してください。

追申

このたびの痛ましい出来事に、心よりお悔やみ申し上げます。

突然の災難に見舞われた皆様のご心痛はいかばかりかとお察し申し上げます。 自然の中で起きた予期せぬ悲劇に、言葉もございません。

亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、負傷された方々の一日も早いご回復を願っております。

ご遺族、ご関係者の皆様が少しでも安らぎを得られますよう、心よりお祈り申し上げます。