──レタンプリュスとASSEMBLAGES KAKIMOTOで学んだこと
こんにちは。2025年7月から大泉工場に仲間入りしました、野上です。
今はプラントベースのスイーツや料理に関わる仕事をしていますが、ここに来るまでの約10年間、ずっとお菓子の世界に身を置いてきました。
このコラムでは、自己紹介を兼ねて、これまで歩んできた道のりを少しだけご紹介します。
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「今どきの子」だった20歳──レタンプリュスでの6年半
自分がパティシエとしての道を歩き始めたのは20歳。
千葉のフランス菓子店「レタンプリュス」で、6年半お世話になりました。
入社時、専門学校の担任の先生が熊谷シェフに言った言葉が今でも忘れられません。
「今どきの子ですけど、よろしくお願いします」──まさにその通りのちゃらんぽらんな自分が、叱られ、悩み、成長していく毎日でした。
この店では、フランス菓子を中心に、パンや焼き菓子、バームクーヘン、ショコラまで幅広く手がけていて、製造全体の流れを実践的に学ぶことができました。
中でも僕にとって一番の転機だったのが「窯」の仕事です。
焼成温度も決まりがなく、タイマーも使わず、見て、触って、感じて、パンや焼き菓子の“焼き上がりの瞬間”を判断する。
誰かが「これくらい」と教えてくれることもありませんでした。
でもそのアナログな環境だからこそ、感覚が研ぎ澄まされ、職人としての土台が確実に築かれていったと感じています。
ショコラの仕事も、ここで初めてしっかりと学びました。
繊細な作業の積み重ね、素材への向き合い方、そして熊谷シェフの仕事に対するひたむきな姿勢。
すべてが今の自分をつくるベースになっています。
何度も壁にぶつかりました。悔しさで眠れない夜もありました。
でもそんな時に手を差し伸べてくれたのは、いつも現場の仲間たちでした。
「自分のためだけじゃなく、誰かのために頑張れる人間になりたい」──
そう思えるようになったのは、間違いなくこのレタンプリュスでの日々のおかげです。
概念にとらわれない表現──ASSEMBLAGES KAKIMOTOでの3年半
次に働いたのが、京都の「ASSEMBLAGES KAKIMOTO」。
ここでの3年半は、自分の中の“常識”を壊す時間でした。
垣本シェフの発想はとにかく独創的で、パティシエとしての概念にとらわれていません。
素材の組み合わせ、デセールの構成、皿盛りの在り方まで、とにかく自由。
「こうじゃなきゃいけない」って考えは、ここには一つもありませんでした。
その柔軟さに最初は戸惑いながらも、だんだんとその世界に魅了され、
「自分も、もっと自由であっていいんだ」と思えるようになりました。
ここでもショコラには関わり続けて、基礎の上に自分なりの表現を少しずつ重ねていきました。
また、アイスや料理、アシェットデセールなどにも挑戦し、表現の幅を広げていきました。
在籍中には姉妹店「assemblages+」の立ち上げにも参加し、店長として商品開発や現場のディレクションを担当。
プレッシャーも大きかったけれど、ここでもたくさんの仲間に支えられて、貴重な経験を積ませてもらいました。
職人としてだけでなく、人として、どう向き合い、どうチームをつくるか。
それを学べたのが、アッサンブラージュでの3年半でした。
「おいしさ」に新しい意味を──大泉工場でのスタート
そんな2つの現場を経て、2025年7月から、大泉工場に入社しました。
最初に興味を持ったのは、“プラントベース”という食の新しい形でした。
レタンプリュスでしっかりとしたベースを築き、アッサンブラージュで柔軟な発想を学び、
その両方を活かせる場として「プラントベース」という領域はとても魅力的に映りました。
自分自身、食への価値観や社会とのつながりにも目を向けるようになっていて、
「おいしい」だけじゃなく「やさしい」「新しい」も感じてもらえるものをつくりたい、という想いが強くなっていたんです。
ちゃらんぽらんだった自分が、熊谷シェフや垣本シェフの背中を追いながら、仲間に支えられてここまで来られた。
この経験を、次は誰かの背中を押す側として活かしていけたらと思っています。
どうぞ、これからよろしくお願いします。