街全体でビジネスのノウハウを共有。世界のベストレストランに選出された街「サン・セバスチャン」

今、新たな美食の街として注目されている、スペイン北東部の小さな街サン・セバスチャン。前例のない新しい料理を作ろうと地元のシェフたちが起こした新しい美食料理のムーブメント「ヌエバ・コッシーナ(新しい食)」を求めて、世界の美食家たちがこの地を訪れています。

この「ヌエバ・コッシーナ」が注目を浴びるようになったのは1990年代ですが、その始まりは1970年代後半、サン・セバスチャン出身のシェフ、フアン・マリ・アルサック氏が当時、フランス料理の革命と言われた「ヌーヴェル・キュイジーヌ」に出会ったことがきっかけだそうです。フランス語で“新しい料理”を意味する「ヌーヴェル・キュイジーヌ」は伝統的なフランス料理とは違い、生クリームやバターを使わず、よりあっさりとした新しいフランス料理として、フランスのみならず世界中で注目を集めていきました。

この新しいフランス料理はアルサック氏のみならず、サン・セバスチャンの若きシェフたちにもインパクトを与えました。アルサック氏を中心にシェフたちは「これを、何とか自分たちのものにできないだろうか」と地元の素材を活かしながら新しい食感や食材の組み合わせ、新しい料理への開発に取り組み、これがサン・セバスチャンに「ヌエバ・コッシーナ」を誕生させることになりました。(1)


↑世界中のシェフが「新しい食」を求めて世界中から集まる

「ヌエバ・コッシーナ」の新しいメニューの開発は、それまでの料理という枠にはまらず、「G(気体)、W(液体)、O(油脂)、S(個体)」などの記号で料理の状態を表しながら、まるで科学実験のように行われました。サン・セバスチャンにある著名なレストランには「料理研究室」が設けられています。

そこでは専任のスタッフが料理を科学的に研究していて、世界ナンバーワンのレストランとされた「エル・ブリ」のシェフであったフェラン・アドリア氏も「イワシとホワイトチョコレートを混ぜちゃいけないなんて、誰が言った?」と例えているように、新しいスペインの美食ムーブメントは料理という領域を超えて、人類の新しい味覚を生み出そうとしているようにも感じられます。


↑人類の新しい味覚を生み出す「ヌエバ・コッシーナ」

以前は特別に目立った産業がなかったサン・セバスチャンですが、「ヌエバ・コッシーナ」を目指して多くの料理人が集まり研究を重ねるようになると、街にはミシュラン店が次々と並びはじめ、「世界のベストレストラントップ50」のトップ10にサン・セバスチャンのレストランが2軒選ばれるなど、一気に美食の街として世界中に知られるようになりました。

この快挙を実現させたのは、海の幸・山の幸が豊富にあるという環境に加え、料理業界では禁断だとされていた「レシピをライバルや仲間と共有する」ことを実行したことによります。レシピの公開には“オリジナルの味”が盗まれるリスクも伴うため、シェフたちがどれほど本気で「ヌエバ・コッシーナ」に取り組み、何とかサン・セバスチャンを活性化させようとしていたかが伺えるでしょう。(2)


↑ライバルとレシピを共有することで、一つのレストランだけではなく、街全体が大きくなっていく

「レシピの共有」を提唱した第一人者のルイス・イリサール氏は16歳の頃からレストランで働き始め、その後、ヒルトンホテルのチーフ兼教育係になったことで、シェフの教育の重要性を知ったと言います。

そして彼が1992年に開校した「ルイス・イリサール料理学校」は、スペインでナンバーワンの料理学校と呼ばれていますが、イリサール氏の教育の基本は、料理の技術そのものではなく、「みんなで教え合う」という哲学なのだと言います。(3)

キッチンで隠れながらソースの味見をし、「味を盗む」ことで一人前の料理人になることが、料理人の世界では一般的に下積みだと考えられています。しかし、ルイス・イリサール氏が提唱した「レシピのシェア」が街中に浸透し始めると、レストランはある種、料理人が互いから学びあう料理学校の役割も果たすようになり、学校を卒業した後も誰もが料理の腕を磨き続けられる環境が自然に整い始めました。


↑何年も皿洗いして修行するのは、明らかに時代遅れ

元々食材に恵まれているサン・セバスチャンでは人々の「食」へのこだわりも強く、男性が集まって料理を通じて息抜きをするための「美食倶楽部」というサークルがあります。

その数は100を超えるとも言われていますが、この「美食倶楽部」にはサン・セバスチャンの世界的に有名なシェフもメンバーに名を連ねており、そういった文化が、サン・セバスチャンで、「レシピのシェア」という教育が受け入れられる大元にあったのかもしれません。(4)

また、「レシピのシェア」は特に若い料理人たちにとって、料理の技術を上達させることができる重要な土台となっています。サン・セバスチャンからは若い優秀なシェフが次々に誕生し、街のレストラン全体の料理の質をあげていますが、料理の業界だけにかかわらず、従来の師弟制度のようなトップダウンのシステムでは難しかったお互いのアイデアを尊重するという方法は、その業界全体を進展させる重要な要素だといえそうです。(5)


↑自分のレシピを独占するのではなく、共有することで街全体の料理のレベルが自然と上がっていく

3Dデザインなど、コンピュータ技術を使ったアートの分野では、自分の作品のソースコードを常にオープンにしているアーティストもいます。これはその気になれば、他人がまったく同じものを作れてしまうことを意味しますが、アーティストの一人であるカイル・マクドナルド氏シェアをする理由を、多くの人の目に触れる機会を増やすことで、外部からの反応が得やすくなり、その結果、将来的により良い作品を生み出すことに繋がるのだとしています。


↑情報をどんどんオープンにすることで、将来良いものを生み出せる可能性が広がる

サン・セバスチャンの料理人たちも、自分のレシピを自分のレストランだけのものにして、自分のレストランだけにお客さんを呼び込もうとするのではなく、「すばらしい料理」という目標を街全体で共有したことが、結果として美食の街という社会的変化を起こすことができた大きな要因となりました。


↑特に目立った観光資源もない街に、世界中から人々が押し寄せる

日本では「レシピをシェアする」という概念はまだ薄く、食べる人も食材を得る環境も変わっている中で、伝統を守ることだけでは発展は難しいことに多くの人が気づき始めています。

今なお研究を重ね、今後も発展し続けるであろうサン・セバスチャンの「ヌエバ・コッシーナ」のように、社会のさらなる発展のためには、それぞれの技術を「シェア」することをキーワードに、「個」ではなく「全体」の発展を目指して歩んでいくべきなのかもしれません。

参考書籍)

1. 高城 剛「人口18万の街がなぜ美食世界一になれたのか―スペイン サン・セバスチャンの奇跡」(祥伝社新書、2012年) p.85

2. 高城 剛「人口18万の街がなぜ美食世界一になれたのか―スペイン サン・セバスチャンの奇跡」(祥伝社新書、2012年) p.3

3. 高城 剛「人口18万の街がなぜ美食世界一になれたのか―スペイン サン・セバスチャンの奇跡」(祥伝社新書、2012年) p.108

4. 高城 剛「人口18万の街がなぜ美食世界一になれたのか―スペイン サン・セバスチャンの奇跡」(祥伝社新書、2012年) p.142-143

5. 高城 剛「人口18万の街がなぜ美食世界一になれたのか―スペイン サン・セバスチャンの奇跡」(祥伝社新書、2012年) p.104

ABOUTこの記事をかいた人

アバター

真面目系会社員を経てライターへ転身。社会と日本海の荒波に揉まれながら日々平穏を探している。好きなものは赤ワイン。止められないものは日本酒。夢はいつか赤ちょうちんの灯る店で吉田類と盃を交わすこと。