【mizuiRoインタビュー番外編Vol.2】顧問:和泉和平さん~「マシンを売って終わり」ではない。日本のモノづくりの発展に貢献してきた和泉さんが語る、現在の大泉工場の原点とは?~

mizuiRoインタビュー番外編では、社外で大泉工場を支えてくださる「mizuiRo」な方々を、人柄や価値観にフォーカスを当てご紹介していきます。

参考記事:mizuiRoとは?

Vol.2である今回は、大泉工場の顧問である和泉和平(いずみ わへい)さんのインタビューをお届けします。
大泉工場が2010年に食の事業として最初に取り組んだのが「ポップコーンマシン代理店販売事業」。和泉さんは顧問として、ポップコーンマシン代理店販売事業において欠かせないメンテナンスの体制を作り上げてくださった方です。
大泉工場のミッション実現のため、長きにわたりご指導いただいている和泉さんだからこそ知る、現在の大泉工場の原点を伺いました。

L1003764

山崎:
和泉さん、本日は宜しくお願いいたします。最初に自己紹介をお願いします。

和泉:
現役時代の前半はプラスチック加工、後半は電気機器メーカーの営業として、モノづくりからメンテナンスまで携わってきました。メーカーのものづくりの営業を通じて、顧客の発展に貢献できたのではないかと思います。
現在は大泉工場を始めとする複数企業の顧問、コンサルティングをしています。その他、人生の経験者として後輩のよろず相談を行うYSG事務所、ボランティア活動として地元自治会副会長、選挙立会人、地元である新潟県佐渡市東京連合会役員などをしています。

山崎:
和泉さんは機械・メンテナンス業界では誰もが知る方だと伺っています。そんな和泉さんですが、大学時代はどのような学生だったのでしょうか。

和泉:
大学時代は苦学生でしたよ。奨学金を借りていたので、単位を落とさないよう必死に勉強、それ以外は学資稼ぎにアルバイトに明け暮れた日々でした。趣味のアユ取りで生活費を得てもいましたね。

大学時代、主に勉強したのは経済と法律です。中でも生産工学という授業があり、その先生が面白くて。当時では珍しいマサチューセッツ工科大学の教科書を使っていたんです。当時の日本には生産工学で学んだようなものづくりの技術はなかったので、これは面白いと感じましたね。

法律は、知らないで世の中に出てしまうと仕事で対応を間違えてしまう。間違えた本人はいいですけれども、相手が迷惑するでしょう。社会に出る上でのベースを学ぶということで法律は一生懸命勉強しましたね。

山崎:
生産工学を勉強したところからものづくりの面白さに惹かれていったのですね。ご卒業後はどのような会社に入社されたのですか。

和泉:
新卒で入社したのはプラスチック加工を行う会社です。私が卒業したのが昭和38年でプラスチックの国産化が昭和30年くらいなので、当時プラスチックは全て外国製だったんですよ。まだ世の中にない商品だから面白いなと思い、入社することにしました。社会人時代の半分はプラスチックの加工をやっていましたね。

経済学部卒なので基本的に営業なんですが、最初の2年は工場勤務をしていました。その後はメーカーの営業ですね。人生、今までずっと営業です。大手の電気機器メーカーの担当もしていて、図面を読めなければしょうがない、ということで会社に入ってから勉強しました。

山崎:
図面を読める営業の方はなかなかいないのですか?

和泉:
そうですね、普通は出来ないと思います。
私は2年間工場で仕上げ加工をやっていたので。現場では図面を読んで積載するのにプラスチックの部分を何グラムと、体積計算しないといけないんですよ。そういったことも私はできるので図面を読むところから資料作成、見積り作成、営業まで全部やりました。

図面を読むこと以外にも、働きながら独学で原価計算を勉強して入社3年目で事業予算も組んでいました。
当時、会社には250人くらいスタッフがいたのですが、売り上げをこれくらいと言うだけで事業計画を全然組んでなかったんですよ。当時50歳だった先輩に「僕にやらしてくれ、これじゃだめだ」と自分から提案しました。

山崎:
入社されて3年目で事業計画を作られていたなんて驚きです。

ホットスナックのショーケース、おでんのケースなどを日本で最初に作ったのが私

山崎:
その後、また違う領域の食品機器メーカーに転職されたとのことですが、どのようなきっかけだったのですか。

和泉:
やはりプラスチックの原料というのは大手の資本家しかできないので、加工業というのはまるっきり下請けなんですね。ちゃんと仕事すれば会社が残るだろうと思っていましたけれども、供給元が値上げしてしまえばそれで終わりなんです。
プラスチック加工の会社では20年ほど働いていたのですが、「これでは面白くないからやめましょう」ということで食品機器メーカーの事業に参画することにしました。

仕事内容としてはコンビニエンスストア・外食向け機器の企画や商品化が主体です。常にものを作っては提案していますね。コンビニでよく目にするにホットスナックのショーケースやおでんのケースなど、ああいったものも私が初めて作りました。

山崎:
今では当たり前に目にする機器を、企画から導入まで和泉さんがされていたとは驚きました。プラスチック加工の会社の時から、まだ世の中にないものをつくりだすことに多く取り組まれているのですね。

和泉:
私の商売は提案型なので、お客さんのためになることを見つけて提案しています。あとは信頼関係だけですね。常に困ったことがあったら相談くださいというのが私の仕事だと思っています。だからお客様からプライベートでも相談受けましたよ。

山崎:
違う会社の方のプライベートの相談を受けるところまで深く関係性を築かれている和泉さん。営業においてどのようなことを大事にされていますか?

和泉:
京セラの稲盛さんがおっしゃっている経営哲学の「利他」です。
利は他人にあり。つまり、付き合っているお客様がまず儲けないと自分のところに利益はいきませんよ、ということです。それがやっぱりベースですね。やっぱりお客様があって、自分。そうすればお互いにWIN WINでしょう。

営業というのは、お客様の問題解決をすることです。私は一度やり遂げようと思うといろんな手を使ってやり遂げます。そのためにまず大切なのは「知ること」なんですよ。何があれば売上が上がるのか、時代の流れはどうなのか、そういったことは研究しています。
問題解決をすると、お客様も何かあれば和泉さんに相談しようとなるじゃないですか。もちろん商売がベースですが、それとは別の付き合いができるんです。

またお付き合いさせてもらう上で、日々勉強はしています。
自分が間違えると工場の中でモノづくりをやる上では自分の怪我とかそういった範囲ですが、人と会う営業ではお客様に迷惑をかけますからね。

「決して人に迷惑をかけない。」これはモットーとしてやらないといけないなと思っていま
す。

マシンを売って終わりではなく、メンテナンスサービスをしっかりやる

山崎:
モノづくりの分野でご活躍されている和泉さん。当時、ポップコーンマシンの代理店販売を行うにはメンテナンスの体制を作ることが必須であり、その体制を作る上でご指導いただいたと伺っています。

和泉:
当時、大泉社長にアメリカ最大手のポップコーンマシンメーカーを紹介した方が長岡さんという方なのですが、長岡さんとは前職の食品機器メーカーの時にメンテナンス面でバックアップをしたことから20年来のお付き合いがありまして。
その長岡さんからメンテナンスをやってほしいということで紹介されたのが大泉工場でした。厨房機器の展示会で大泉社長に初めてお会いしたのが2009年なので、もう11年になりますね。

山崎:
どのようにメンテナンスの体制を作っていったのか、当時のエピソードを教えてください。

和泉:
ポップコーンマシンを取り扱うには販売の業者登録がいるんですよね。
事故や火事が起きる可能性もあるので、電気機器は法律が厳しいんです。なので、大泉工場で講習会を開いて、そういった基準をよく知って扱ってくださいと説明しました。

山崎:
他にも、ポップコーンマシンのメンテナンスを全国で行うにあたって、サービスサポートという会社をご紹介いただき、マシンメンテナンスの体制を作ってくださったと聞きました。

和泉:
そうですね。他には事業計画なんかも相談に乗りましたね。こういう分析をしながらやらないとだめだよと、当時の担当に言っていました。

山崎:
大泉工場がポップコーンマシンの取扱い先を開拓していく上でも和泉さんがご紹介や指導をしてくださったからこそ、今のFUTURE FUN FOOD事業があるのだと思います。

山崎:
マシンメンテナンスの体制を作り上げていく中で、大変だったことや印象に残っているエピソードはありますか。

和泉:
トラブルは色々ありましたよ。その中でこうすればこうなりますよ、という経験を当人たちに積み重ねてもらうこと、そしてメンテナンスサービスはしっかりやるということは大切にしていました。

やはり機械を売っただけはなく、メンテナンスをしっかりやらなければ後々注文が来ないですからね。そういうことを口うるさく言っていました。だから今はしっかりやってくれていると思います。
やはりそういったルート作りをしていけば仕事は自然とできるのではないかと思っています。

山崎:
和泉さんから見て、大泉工場の取り組みはどのような印象をうけますか?

和泉:
私なんかは長い間大泉工場を見ていますが、何年か後に大泉社長が注目されると思っていますよ。大泉社長は海外に結構行っているので視野がそういう面では広いんですよね。
何年先がどうなるか、というのは分からないですけれど、大泉工場がやっていることは間違いないと思っています。

山崎:
どのようなところが「間違いない」と思われますか。

和泉:
やはり時代性ですね。
また、大泉工場が取り組む事業は、一つの社会還元だと思っています。中核事業を通じて「地球を笑顔で満たす」「素敵な環境を創造する」ことは、高齢化社会の一員として大いに期待、歓迎しています。

今の日本人は自分のご都合主義になっているのではないかと感じる部分があります。しかし、大泉社長は世界を知って、とにかく先へ行こうという気概がある。そういった進取の精神を持ち、先の先を考えて行動する姿勢には共感しています。

和泉さんの描くビジョンとは?

山崎:
和泉さんの夢やビジョンを教えてください。

和泉:
今の活動は、社会還元でやっています。現在は、いわゆる高齢化社会のメンテナンスという領域で色々と組織化をやっているんですよね。今度やろうと思っているのはメンテナンスサービスに従事する高齢者のためのマッチングです。

働きたいけれど定年後の仕事がないという方は結構いるんですよ。昔肩書があった方でも。だから私たちがやっているのは、高齢者向けにあまり人に見えていないところでのメンテナンスの仕事を集めて紹介する全国網を作ることです。

また、ボケないためのゲーム、いわゆるオセロゲームのようなものをNPO法人で作って推進しようと考えています。ゲーム自体は単純ですが、やることで老化防止に効果があるんですよ。社会福祉協議会だとか老人ホーム向けに販売して、 活性化を図るという趣旨でNPO法人を立ち上げます。

その他にも現在のボランティア活動は続けていきたいと思っています。
よろず相談のYSGという活動は、仕事が半分で個人的な相談の方が半分ですね。他にもボランティアで地元の町会副会長、選挙の時には立会い人、国勢調査員などをやっています。
私的な活動では麻雀会を16~7年間、 郷土会趣味の会というものを 17年ほどやっています。
そんな事ばかりやっているので土日が忙しいですよ。

山崎:
精力的に活動されている和泉さん。その原動力とは何でしょうか?

和泉:
今やっていることはただ私がやりたいことですからね。やっぱり長らくここまで生きたのは皆さんのおかげだと思っています。だから少しでも生きているうちに多くの人にお返しができたらと思っています。よろず相談の YSG事務所をやっているのはそういうこともありますね。

基本的にね、人生死ぬまで勉強だなと思っています。だからそれを忘れたのでは、やはり人間として失格だなと思います、本当に。今も微力ながら努力はしています。

お客様の課題を発見し、まだ世の中にないものを提案することで、日本のモノづくりの発展に寄与されてきた和泉さん。それでいておごることなく、謙虚で勉強熱心な姿に感銘を受けました。

和泉さんの大切にされている「利他」の精神は、現在のポップコーンマシン・ジュースマシン販売事業に受け継がれています。マシンを使ってくださるお客様がいるからこそ私たちの事業が存在しています。事業を通じて、一人でも多くの「笑顔」を創造できるよう、これからも邁進してまいります。

ABOUTこの記事をかいた人

MAYUKO YAMAZAKI

静岡生まれ静岡育ち。心身の健康づくりに関わる仕事がしたいと考え、大学卒業後はフィットネス関連の会社に入社。しかし、働く中で体調を崩し、退社。その後、鹿児島の与輪島で2ヶ月間の島暮らしをする中で、自然とつながって生きる感覚や「食べること=自然が自分の一部になること」のパワーを感じたことで食にかかわる仕事を志し、大泉工場に入社。以降、Corporate Communication TEAMにて広報業務を担当する。趣味は料理と自然の中でのんびり過ごすこと。都会より田舎派。