効率化の先で起きていること

こんにちは。大泉工場 でWebディレクターをしている白熊です。
ECサイトや各ブランドのWebディレクションを担当しながら、日々「どう伝え、どう届けるか」を考えています。

仕事柄、効率について向き合う時間は多いのですが、同時に「効率化が進んだ先で、人の感覚はどう変わっていくのか」ということも、気になるテーマのひとつでした。
今回は、そんな視点から、最近よく語られる「退屈」という感覚と、その背景にある構造について整理してみたいと思います。

効率化が前提になった日常

最近、欧米では「退屈(boredom)」が社会問題として扱われるようになっています。ここで言う退屈は、暇だとか、やることがない、という意味ではありません。仕事も予定も埋まっているのに、集中力や意欲が下がり、強い刺激を求めやすくなる状態を指しています。

この状態が続くと、過度な飲酒やギャンブル、薬物使用など、即効性のある刺激に向かいやすくなることが指摘されています。退屈そのものよりも、意味や注意の向け先が失われたまま日常が回り続けることが、問題視されているのです。この感覚は、特定の国や文化に限らず、効率化が進んだ社会全体で共有されつつあるもののように思います。

退屈についての研究

American Psychological Association に掲載された Westgate & Wilson(2018)の研究では、退屈は「意味が感じられないこと」と「注意を向ける先が見つからないこと」が重なった状態だと定義されています。単につまらないというより、意識の置き場がなくなっている状態に近いとされています。
決まった手順で進み、結果もある程度予測できる毎日では、やるべきことはあっても、その行動に新しい意味を見出しにくく、注意を向ける先も固定されがちです。その結果、忙しく過ごしていても、どこにも意識が引っかからない時間が増えていく。この説明は、いわゆる「決まりきった日常が退屈につながる」という感覚と、自然につながっているように思います。

自分の日常を振り返ると

いろんな人と飲みに行ったり、無計画な旅行に出たり、帰り道を少し変えてみたり。こうした行動は、気分転換というより、結果がある程度決まりきった日常から、意識を少しだけずらすためのものだったのかもしれません。
特に飲み会は、話の流れや着地点が事前に決まらず、予定調和が起きにくい場です。予定外の出来事が入り込むことで、注意の向け先が固定されず、日常の中に引っかかりが残る。その状態を、無意識のうちに保とうとしていたようにも思います。

新しいことを続ける大泉工場

この流れで考えると、大泉工場 の環境は、とてもわかりやすい位置にあります。新しいことや前例のないことに取り組み続け、正解が最初から決まっていない仕事が日常に含まれている。発酵という、微生物による不確実性を前提としたものづくりも、その象徴の一つです。

大泉工場で働くこと自体が、効率化された日常をずらす一因になっているのかもしれません。効率化が進んだ社会の先で、そうした環境の価値は、静かに高まっているように思います。