直感の針を落とせ。ビジネスと音楽と僕の再起動

唐突かもしれないが、僕は今、もう一度DJを再開したいと思っている。
大学時代に夢中になっていた、アナログレコードでのDJプレイ。針を落とす瞬間に「パキパキ」と弾けるような物理的な音がして、それが空間を満たしていく。その感覚が、何よりも心地よかった。

今の時代、DJといえばPCDJコントローラーを駆使したプレイが主流だ。圧倒的な楽曲数、瞬時の選曲、完璧なBPM調整——デジタルの世界は確かに便利だし、否定するつもりもない。でも、僕にとってのDJとは、あくまで「触れること」だ。無骨な黒い盤をターンテーブルに乗せ、針を落とす。耳を澄ませ、指先で回転を微調整し、BPMを合わせ、次の曲へと繋げていく。その一連の流れに、音楽との対話がある。

そんなことを考えていた2025年GW最終日、僕は偶然、渋谷のスクランブルスクエアにいた。
用事を終えて、一息つくために混雑したカフェを避け、上層階へと足を運ぶ。12階のレストランフロアは、渋谷の街並みを一望できる素晴らしいロケーションで、観光客が窓際に並び、眼下の人混みに向けてシャッターを切っている。もちろん僕も窓際に行こうと思った。だが、その前に目を奪われたのは、イベントスペースでプレイしていた一人のDJだった。

彼はおそらく僕と同世代。悠々とアナログレコードを操作し、BPMを手動で合わせ、曲と曲を繋げていく。その姿は、ただ音をつないでいるだけではなかった。盤を触り、耳を澄ませ、身体を揺らしながら、今この瞬間の空間を作り出していた。デジタル機器も一緒に使ってはいたが、明らかに「主役」はアナログだった。思わず、景色を眺めることも忘れ、その場で彼のプレイに見入ってしまった。


意識を向けると、見える景色が変わる。
これは「カラーバス効果」と呼ばれる現象だ。
たとえば、赤い車が欲しいと思った瞬間から、街中に赤い車がやたら目につくようになる。脳が無意識のうちに情報を拾いに行き、結果、世界が変わったように見える。

思えば、ビジネスでも同じだった。
2016年、僕たち大泉工場がKOMBUCHAのビジネス(_SHIP KOMBUCHA)を始めた頃、日本では「KOMBUCHA」という言葉すら知られていなかった。オーガニックカフェにも、レストランにも、スーパーにも置いていない。マーケットとしては存在しないも同然だった。

それでも、KOMBUCHAという素晴らしい発酵飲料をビジネスにすることで、多くの人々の腸内環境を素敵にすると「覚悟」を決めた瞬間から、僕の目には「KOMBUCHAのある景色」が見え始めていた。汐留の洒落たグローサリーストア、代官山の路地裏カフェ、浅草の土産物店…。小さいながらも、確かに日本のどこかに、KOMBUCHAは存在していた。数字やデータに表れない小さな気配を拾い上げ、それを信じて挑戦を続けた先に、今の僕たちのビジネスがある。世界は、変えることができるのだ。

新しい市場は、決して数字の中だけからは生まれない。
誰も見たことがない景色を、どれだけ鮮明に想像できるか。どれだけ小さな気配に敏感になれるか。そういう「直感」こそが、未来を形作っていくのだと思う。


最近のニュースで、若者の間でアナログレコードが再評価されていると知った。
針を落とし、物理的に音楽が始まる感覚に、価値を感じる人が増えているという。デジタル全盛の時代だからこそ、あえて「不便」で「手間のかかる」ことに惹かれる。これは単なるノスタルジーではなく、人間の本能的な欲求なのかもしれない。

効率を突き詰め、便利さを追求する社会で、僕たちは何か大事なものを置き去りにしていないだろうか。
針を落とし、盤を回し、音を紡ぐ行為は、音楽を“消費”することではない。音楽と“向き合う”ことだ。
そして、そんな小さな体験が、日々の感覚を研ぎ澄まし、やがて大きな挑戦を可能にする。


僕は、そういう直感をもっと大事にしたいと思う。
AIの中にも、本の中にも、完璧な答えはない。あるのはヒントだけだ。自分の感覚を信じ、試し、遊び、育てていく。その自由さが、もっともっと許される世の中になったら素敵だ。

だから、今。
埃をかぶった青春の大盤を掘り起こし、もう一度針を落とす。回り始めるのはレコードだけじゃない。僕自身の感覚だ。直感の音に身を委ね、余暇を楽しむ時間こそが、きっと次の挑戦の土台になる。

直感の針を落とせ。
その瞬間から、また新しい未来が回り出す。

もし、こんな感覚を大切にし、直感を信じて挑戦できる場所を求めているなら、僕たち大泉工場は、きっとあなたの居場所になる。

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