許容範囲は、成長とともに変わる

  • 機能性発酵飲料「_SHIP KOMBUCHA」の製造販売
  • 100% Plant-Based/Naturalな素材にこだわったカフェ「1110 CAFE/BAKERY(川口市領家)、「BROOKS GREENLIT CAFE(港区南青山)」の運営
  • 約3000坪の自社敷地を活用した各種イベントを開催
  • 自社農場で野菜の有機栽培に挑戦
  • サーキュラーエコノミーの実践                        などなど

素敵な環境を創造し続け、世の中を笑顔で満たす活動をしている、大泉工場のKANです。

仕事をしていて、僕はあまり「やらなかった後悔」はしてきていない。
一方で、「やりきれなかった後悔」は、これまでに何度もしてきた。

後悔という感情は、突然生まれるものではない。
あとから振り返って、「あの時、もう一歩踏み込めたはずだ」と気づいた時に、静かに、しかし確実にやってくる。

そのひとつが、大泉工場とは関係のない、「サウナ」の事業だ。

今でこそ、サウナは完全に市民権を得た。
若者も行くし、いわゆる“キラキラ系”と言われる人たちも「趣味はサウナ」と言う時代になった。

でも、僕が20代だった頃は、まったく違った。
毎週サウナに通うような若者は、少なくとも僕の周りにはいなかった。

そんな中、高校時代の友人と再会した。
話してみると、彼もまた、かなりのサウナ好きだった。

そこから、僕らのサウナ談義は一気に深まっていく。
「どこのサウナがいい」という話ではない。
サウナは、趣味を超えた“生活に必要なもの”なのではないか。
これからの時代、本当に求められるサウナとは何なのか。

毎週のように、そんな話をしていた。

やがて僕らは、ひとつの結論に辿り着く。
本質的なサウナを理解するには、本場を見に行くしかない。

そうして向かったのが、フィンランドだった。

フィンランドには、文字通りサウナが溢れている(「サウナ」って言葉は、世界一有名なフィンランド語なのだ)。
家の中にあるサウナ、湖のほとりのサウナ、無人島のサウナ、公共サウナ。
とにかく、あらゆる形のサウナを体験した。

そこで気づいたのは、フィンランドのサウナは「外との境界線が曖昧」だということだった。
自然の中にあり、内と外が連続している。
それが、サウナ体験そのものを豊かにしていた。

日本には、そういうサウナがほとんどなかった。
だからこそ、僕らは「テントサウナ」という形に可能性を見出した。

フィンランド産のテントサウナを日本で販売する。
自然とつながるサウナ体験を、日本に持ち込む。
そうして、事業はスタートした。

ちょうどその頃、日本でもサウナブームの兆しが見え始めていた。
ただし、そのブームの中心にいた人たちは、僕らとはまったく違うアプローチを取っていた。

彼らは、既存のサウナをアップデートした。
内装、導線、音楽、照明。
日本の若者に刺さる形に、サウナを再定義していった。

結果は、はっきりしている。
日本のサウナカルチャーを代表する存在になったのは、彼らだった。

本質を突き詰めた僕ら。
マーケットを掴んだ彼ら。

勝敗は、明確だった。

そして、ここからが本当の後悔の話だ。

実は僕らは、もうひとつのアイデアを持っていた。
公共サウナで感じるストレスに、ずっと違和感を覚えていたのだ。

サウナ内で大声で話す人。
汗を流さず水風呂に入る人。
休憩スペースを独占する人。

公共である以上、ある程度は仕方がない。
でも、サウナが本来持っている“整う”という価値は、そこでは損なわれていた。

そこで出てきたのが、
「マンションの一室を、プライベートサウナにできないか?」
という構想だった。

完全予約制。
清潔で、静かで、プライベート。
男女一緒に入れる場所もある。
夜の会食前に、軽く汗を流してリセットできる。

今では当たり前になりつつあるこのモデルを、僕らは10年近く前に考えていた。

もし、あの時これに本気で取り組んでいたら。
今とはまったく違う景色が広がっていたかもしれない。

でも、僕らはやらなかった。
正確に言えば、できなかった。

理由はひとつだ。
当時の僕らにとって、それは「許容範囲を超えたリスク」だった。

それぞれが会社を経営していた。
守るものが増えていた。
まだ見ぬ市場に、全振りする勇気が持てなかった。

冷静に考えれば、理解できる判断だ。
でも、結果だけを見れば、チャンスを逃したのも事実だ。

面白いことに、今でもその仲間とは、この話をする。
笑いながら、でもどこか悔しさを残しながら。

許容範囲のリスクとは何か。
それは、人によって、時期によって、まったく違う。

ただひとつ言えるのは、
リスクは、時間が経つと「取らなかったこと自体」がリスクに変わることがある、ということだ。

あの時は大きすぎたリスクも、今なら「取るべき一手」に見える。

チャレンジは、続く。
次に同じ分岐点に立った時、自分はどこまでを「許容範囲」と定義できるのか。

それを問い続けること自体が、きっと、経営なのだと思っている。

大泉工場は、先代の残してくれた資産を元に、新しいチャレンジができる土台がある。ただ、闇雲に事業を推進することはしないが、素敵な環境を創造するというVISIONに則って、一緒に許容範囲のリスクを取れる仲間のエントリーを、待っています。

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