大泉工場に戻ってから、改めて気づいたことがある。
僕の近くには、いつも緑があるということだ。
意識せずとも視界に入る木々。
朝、門をくぐった瞬間に感じる空気の柔らかさ。
風に揺れる葉の音。
当たり前のようにあるこの環境が、僕の想像力と発想力、そして健康意識を、知らず知らずのうちに底上げしてくれている。
埼玉県川口市領家。
かつて鋳物工場が集積していた、いわば“鉄の街”。
その一角にある大泉工場の敷地は、不思議なほどに緑が多い。
これは僕の代でつくったものではない。先代たちが残してくれたものだ。
この緑あふれる環境に、近隣の方だけでなく、遠方からも足を運んでくださる方がいることを、僕はとても誇りに思っている。
そして先日、改めて強く思った。
やはり「素敵な環境」は、「素敵な未来」を創る。
僕は定期的に、自社以外の会社を訪問するようにしている。
どんな空間で、どんな空気の中で、人はイノベーションを生み出しているのか。それを知りたいからだ。
この習慣の原点は、2013年に遡る。
当時の僕は、まだ「働く」ということの本質を理解していなかった。
仕事は責任であり、努力であり、我慢である。どこかでそう思っていた。
そんな僕に、雷のような衝撃を与えたのが、ポートランドにあるNIKEの本社「NIKE CAMPUS」だった。
そこは、企業の本社というより、まるで大学のスポーツキャンパスだった。
広大なフィールド。
トラック。
競技場。
バスケットボールコート。
そして巨大なプール。
社員たちが、それらを自由に使い、当たり前のように体を動かしている。
案内してくださった社員の方は、こう言った。
「スポーツの会社が、スポーツから離れた環境で働いていたら、おかしいでしょう?」
その一言で、僕の“働く”という前提は崩れた。
ワークライフバランスという言葉は、そこでは意味を持たない。
ワークとライフが分断されていない。
スポーツを楽しむことが、そのまま仕事の質を上げている。
それは効率の話ではなく、思想の話だった。
もう一つ、衝撃を受けたのがGoogle の本社、いわゆる「Google Campus」。
カリフォルニアの陽光。
敷地いっぱいに広がる芝生。
屋外でミーティングをする社員たち。
そこにいるだけで、呼吸が深くなる。
閉塞感がない。
建物の中に閉じ込められて働いている、という感覚がまったくなかった。
さらに、ヘルシンキのアパレル企業であるIvana Helsinki の本社。
規模はそれほど大きくはない。
しかしこの企業の思想を体感できるような構造で、外と内の境界が曖昧であり、自然光と外気を最大限取り込む設計。働くスタッフの一部は、裸足でオフィスの内外を歩き回っていたのが、とても印象的だった。
そしてシカゴのThe Plant Chicago 。
元々精肉加工場だった巨大な建物をリノベーションし、循環型の経済活動を実装している空間として活用。外には大規模なコンポストや都市型農場が広がり、建物内ではアクアポニックスやマッシュルーム工場、ブルワリーやベーカリーが併設されている。
いまのように「SDGs」という言葉が一般化する前から、彼らは実装していた。
これらに共通していることがある。
それは、どこも、自然と切り離されていない。
自然を“装飾”として置いているのではない。
自然と共に呼吸し、そのエネルギーをそのまま経済活動に変えている。
僕は2008年に大泉工場へ戻り、まず門を開いた。
閉じていた門を、開く。
それは単なる物理的な行為ではなかった。
思想を、開くということだった。
今では多くの方が訪れてくれる「OKS KAWAGUCHI CAMPUS」。
ここに緑があることは、偶然ではない。
鉄の街に、緑を残した先代の意思。
それは、未来へのメッセージだったのではないかと思う。
僕らが掲げるGREENLITという思想。
環境を守ることを、堅苦しくなく、格好よく実装するという考え。
その原点は、実はすでに、この場所にあったのかもしれない。
場は、思想を育てる。
どんなプロダクトをつくるか。
どんな言葉を発するか。
どんな未来を描くか。
それは、どんな空気を吸っているかで、変わる。
緑のある環境に感謝する、というのは、単なる情緒ではない。
その環境が、僕たちの意思決定を形づくっているという自覚だ。
この場から生まれたプロダクトやサービスを、どう世界へ届けていくのか。
この緑を、どう未来へつなげていくのか。
環境は、背景ではない。
環境を素敵に創造し続けることこそが、経営そのものだ。
今日も、木々の間を抜ける風を感じながら、僕は未来を考えている。
そして確信している。
緑の中でしか、生まれない発想がある。





