正月やお盆に帰る場所がない人が増えているのは、戦後日本人が「絆」をお金に変えてきたから。

自分が住んでいるとあまり実感が湧きませんが、世界最大の都市はニューヨークやロンドンではなく、人口3,300万人が集まる東京圏であり、この東京は古いものを次々と壊すことで効率化を目指し、不動産や流通、そして交通機関までとにかく「効率だけ」を徹底的に追求することで20世紀後半、日本を世界屈指の経済大国にまで成長させました。

しかし、当時は経済成長だけが目的とされ、効率化された街は20年後・30年後のビジョンが全く存在せず、結果としてこの「効率化させすぎたこと」が日本の弊害となり、次の時代の成長が足踏みしたままになってしまっています。

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↑古いモノを次々と壊し、ただただ効率化を目指してきた東京 (Takashi Hososhima)

東京はあまりにも効率化され過ぎていて、もう人間が住める街ではないとまで言われますが、東京から離れた地方都市にしても、かつてはそれぞれの都市に個性がありました。

当時の地方都市は、昼間は人をあまり見かけず静かな雰囲気が漂っているのですが、夕暮れとともに商店街などが一気に活気づき、便利さや豊かさとはあまり縁がありませんでしたが、人々の顔がしっかりと見えていた「街」が確かにそこにはありました。(1)

しかし、高度成長期に若者たちが地方から東京に出てきたのは、地方の面倒な人間関係を断ち切るためであり、最近ではお盆やお正月に帰る場所がない人たちが増えていると言いますが、そういった意味で、私たち日本人は戦後、「絆」というものをお金に変えてしまったのかもしれません。(2)

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↑日本人は戦後、「絆」をお金に変えてきた (命は美しい)

近年、東京のヒト・モノ・カネ、そして若者を地方に分散し、それぞれの都市に多様性を持たせようという動きが徐々に活発になってきていますが、実際東京の自給率は1%ほどしかなく、そもそも食料は水を含んでいて重く、流通にかなりのエネルギーを使うため「食べ物を遠くから持って来る」という行為自体が、かなり贅沢なことだと言います。(3)

むしろ、日本人の9割は農民の子孫で、農民の遺伝子を先祖代々受け継いでいることを考えれば、これほど多くの人たちが東京のビルの中で仕事をしていること自体がおかしく、1955年の時点で日本人の約40%は、第一次産業(農業・林業・漁業・鉱業)に属しており、日本人が農村を離れ始めたのは、ここ半世紀ぐらいのことでしかありません。

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↑農民の遺伝子を持つ日本人がビルの中で仕事していること自体が不自然 (M Murakami)

日本だけに関わらず、海外でもこの概念は少しずつ広がってきており、食料の生産地からそれが消費される場所までの距離に注目したイギリスの消費運動家のティム・ラング氏は、「フードマイル」という概念を提唱し、食料輸送には多くのエネルギーが必要でそれに関わる二酸化炭素排出量も膨大であることから、生産地と消費地はできるだけ近い方が好ましいのだと指摘しています。

ドイツでは自主収穫運動が増えてきていますが、これは「フードマイル」を短くするだけでなく、包装も不要なことから資源の無駄遣いを減らすことに大きく貢献し、さらに自分たちで収穫した作物には愛着が湧くため、長期保存ができるよう料理をしたり、食べきれない分は他の人に配ったりするなど食料廃棄の削減にもつながっているようです。

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↑遠くの場所から、食べ物を運んで来るのは非常に贅沢 (rick)

また、食料自給率が140%もあるスペインでは食べ物をシェアすることで幸せや楽しみが生まれるという考え方があり、自主収穫運動は環境だけでなく「食べ物を他人と共有する」ことを通じて、喜びを生み出すとしてクリエイターの高城剛氏は次のように述べています。

「食べ物が一杯できても、それをこうやってみんなに配る手立てがなければ、すなわち食べ物を共有することで、楽しみって生まれるわけじゃないですか。簡単に言えばね、もうこの国潰れそうな国ですよ。もうお金もないし、失業率ももう40%台まで跳ね上がってしまっていて、一体この国どうなるんだって中でみんな日々を楽しんでるんですよ。」

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↑食べ物を共有することで、“楽しみ”って生まれるわけじゃないですか (Gene Han)

現代の消費は膨大な商品とサービスの組み合わせから成り立っており、グローバル化の枠組みで生産・流通する商品やサービスは「匿名性」を帯びていますが、一方で対人や暮らしを支える飲食業・宿泊業・理美容店などは「顔が見える消費行動」がベースになっていて、どれだけ人口が減っていこうが高齢化が進もうが、こうした人を通じたサービスは地方都市に残り続けることになります。

「フードマイル」のように食べ物の距離だけではなく「人の距離」がどれだけ近いかが、地方都市の大事なポイントになってくるため、ただ新しい産業を地方に持ってこようと考えるのではなく、すでに形成されている生活関連のサービス業をどう考えるかが、今後社会的に大きな意味を持ってくるようになるのではないでしょうか。

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↑「食べ物」と「人」の距離、最終的には、この距離の「近さ」が地方都市の本当の付加価値 (Evonne)

時間や場所が限定されずオンラインで好きなものが手に入る今日では、消費がモノを手に入れるだけの「私的活動」になってしまっていますが、本来の消費とはその過程で関わる人たちとの会話を交えながら行う「公共的活動」であり、人を介入させることで「何か新しい付加価値をつける」、これは金銭的な価値に変わる21世紀のやり方なのではないでしょうか。(5)

濃い人間関係や絆よりも、お金を選んできた日本人の代償は大きいのかもしれませんが、色んな意味で日本が大きく変わってしまったのは、ここ60〜70年のことで今の日本に必要とされていることは、60年前に私たち日本人が当たり前にやっていたことでした。

その時代によって、成長や発展の仕方は違うのかもしれませんが、どうやら私たちがやらなければいけないことは「従来の自分たち」に戻るという、すごく簡単に見えて、もの凄く難しいことなのかもしれません。

 

※参考文献
1.佐伯 啓思 「さらば、資本主義」 (新潮新書、2015年) P55
2.養老 孟司「日本のリアル 農業・漁業・林業 そして食卓を語り合う」(PHP研究所、2012年) P179
3.養老 孟司「日本のリアル 農業・漁業・林業 そして食卓を語り合う」 P802
4.シュテフアン・クロイツベルガー、バレンティン・トゥルン 「さらば、食料廃棄—捨てない挑戦」(春秋社、2013年) P334

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真面目系会社員を経てライターへ転身。社会と日本海の荒波に揉まれながら日々平穏を探している。好きなものは赤ワイン。止められないものは日本酒。夢はいつか赤ちょうちんの灯る店で吉田類と盃を交わすこと。