ヨーロッパ放浪の旅に出かけて二日目で無一文になった社長の話

  • 機能性発酵飲料「_SHIP KOMBUCHA」の製造販売
  • 100% Plant-Based/Naturalな素材にこだわったカフェ「1110 CAFE/BAKERY(川口市領家)、「BROOKS GREENLIT CAFE(港区南青山)」の運営
  • 約3000坪の自社敷地を活用した各種イベントを開催
  • 自社農場で野菜の有機栽培に挑戦
  • サーキュラーエコノミーの実践                        などなど

素敵な環境を創造し続け、世の中を笑顔で満たす活動をしている、大泉工場のKANです。

北海道・十勝に「アグリシステム」という会社がある。

未来の子どもたちのために、生きた土をつくり、争いのない文明を育む。そんなビジョンを掲げるこの会社を率いているのが、僕と同い年の「ヒデちゃん」こと伊藤英拓さんだ。

包容力のある笑顔と、柔らかく芯のある言葉を紡ぎ出すこの男と、初めて出会ったのは2024年6月のこと。世界最強のニワトリウェルフェアを貫く、みんなが食べたくなる卵で紹介した、テンアール社のレンレン社長を尋ねたのと同じタイミング。実はそのときの出会いもコラムに書こうと思ったのだが、当時の僕には、アグリシステムという会社のスケール、そしてヒデちゃんの思想を、言葉として十分に受け止めて表現する力がなかった。

あれから1年。2025年6月、再び十勝の地を訪れた僕は、ヒデちゃん本人から、未来への取り組みや経営の原点をじっくりと聞かせてもらうことができた。今回はその中でも特に印象的だった話を、僕なりの視点で記してみたい。

アグリシステムは、ヒデちゃんのお父さんが立ち上げた会社だ。

1970年代、日本ではマクロビオティックやオーガニックといった思想はまだまだマイナーで、「民間療法」とオカルトが混在する時代だった(ちなみにKOMBUCHAも、「紅茶キノコ」という名称で人気を博していたが、残念なことにこの文脈で姿を消すこととなる・・・)。そんな中でオーガニックの可能性を信じて事業を始めた父親の姿は、きっと周囲から見れば風変わりだっただろうし、相当な逆風だったに違いない。

それを見て育った息子が、自然と事業を継ぐ……というのは、実はとても稀なケースだと思う。ところがヒデちゃんは、その道を選んだ。しかも、ただ継いだだけではない。自らの言葉と体験をもとに、そのビジョンを大きく“進化”させたのだ。


転機は、21歳の時に訪れる。ヒデちゃんは一人でヨーロッパ・アフリカを放浪する旅に出た。到着2日目にして財布をスられ、無一文に。ギター一本で路上ライブをして、投げ銭で食いつなぐ日々が始まった。

そんな旅の中で出会ったのが、フランスの人々の「見返りを求めないやさしさ」だったという。

「心をひらけば、みんな友達になれる。世界は、分かり合えるはずだ。」

この原体験が、ヒデちゃんの中にある“世界平和”の思想の原点であり、その後の事業展開にも強く影響していく。

その後、キューバで出会った「対話を重視する」市民社会、2018年にドイツで出会ったウテ・クレーマー氏との「エンパシー(共感)」の対話、土壌細菌と腸内細菌の類似性に着目したリジェネラティブ農業への確信……それぞれがピースとなり、現在のアグリシステムを形成している。

「生きた土」「健全な作物」「人間の健康」
ヒデちゃんは、農業を“文明の再構築”と捉えている。

物質的な豊かさを追求し続けた500年の文明は、地球環境の破壊と人間の分断を生み出した。そこから脱却するためには、今こそ“循環と共生”の価値観へと舵を切る必要がある。

アグリシステムでは現在、全国約500の契約農家とともに独自ルールによる栽培を進めている。オーガニック農家は全体の1割ほどだが、すべての農家に対して「次世代のための健全な土づくり」に取り組んでもらっているという。土壌に優しい農法、肥料や外部資材に頼らない仕組み、有畜や緑肥を組み合わせた自立型の循環農法——つまり、リジェネラティブなアプローチだ。

「未来の子どもたちのために」という経営理念は決してスローガンではなく、日々の実践の積み重ねから滲み出る言葉なのだと感じた。

最後に、ヒデちゃんが企画するイベント「北海道小麦ヌーヴォー」の話を。

これは、育てる人・つくる人・食べる人が、ワンテーブルを囲むように繋がる場としてスタートしたもの。リリースされたばかりの小麦で、パン職人がその場で焼き上げる。農家も製粉所もパン屋も、そして食べる僕らも、全員が同じテーブルにつくことで、顔の見える循環が“実感”になる。まさに、理念を現実に引き寄せるプロジェクトだと思った。

「文明を変えるのは、土と対話とエンパシー。」

十勝の青い空の下で、そんな言葉がふと頭に浮かんだ。アグリシステムという会社を訪れて僕が受け取ったのは、「農業」という枠にとどまらない、深くて静かな革命の種だった。

そして、その種は、僕たちの手の中にもある。次は、どう育てるか。それを考える旅は、もう始まっているのかもしれない。

1970年台に淘汰されてしまった「紅茶キノコ」を、「KOMBUCHA」として再びこの世に送り出すことができたのも、本質を見極め、磨き続ける人たちとの出会いがあったからだ。

「KOMBUCHA」は、一度は忘れられた存在だったけれど、僕らはその価値をもう一度掘り起こし、再定義した。発酵や微生物のように、微細なものが、大きな変化をもたらす、それを信じて、ここまでやってきた。

人との対話、経験から価値を再発見し、未来へと繋げていく。アグリシステムヒデちゃんとの出会いも、まさにその一つだ。

これからも大泉工場は、そういった出会いとともに、新たな循環を作り続けていく。

このコラムを通して、少しでもエンパシーを持ってもらえたなら。

あなたともぜひ、同じテーブルにつきたいと思っている。

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