勧められたことを、やってみる。
もしかしたら、人によってはあまりポジティブに捉えづらいかもしれない。
だけど、天邪鬼っぽいと言われる僕は、意外と昔から「言われたことは一度やってみる」というタイプだ。
念のため言っておくと、何でも盲目的に従うわけではない。経験を踏まえてやらないという選択をすることもある。けれど基本姿勢は、まずやる、だ。
そして少し特殊かもしれないが、その言った相手がどんな人であれ、だ。
同じ内容でも、誰に言われたかによって行動を変える人がいる。
僕はこの行動原理が、どうも好きになれない。
なぜ人によって「やる」「やらない」が変わるのか、あまり理解できないからだ。
勧められたことをやってみる理由は単純明快。ほとんど損をしないからである。
原理原則として、人が誰かに何かを勧めるとき、そこにはその人なりの体験がある。
「よかった」という実感がある。だからこそ口に出す。
地位のある人に言われようが、6歳の子どもに言われようが、勧められたらやってみる。それは時として、勧めた人でも、勧められた自分でもない誰かにつながることがある。
以前こんなことがあった。
若いスタッフと、とある芸人の話になった。
今や超が付くほどの売れっ子タレントで、メディアで見ない日はない。
その芸人に対して、そのスタッフは「司会進行ばかりで芸がない。嫌いだ」と言い切った。
僕はその芸人と面識はない。
けれど懇意にしている。
理由は明快で、その芸人は一度、天国から地獄に堕ち、とんでもない下積みを経て、奇跡的な復活を遂げて今の地位を築いているからだ。
その事実を知らずに「嫌いだ」と言い切る姿に、少し残念な気持ちになった。
だから僕は、下積み時代の映像をYouTubeで掘り下げてみることを勧めた。
腹がはち切れるほど笑わせてもらった事実が、僕にはある。
それを見れば、少し見方が変わるかもしれないと思ったからだ。
もちろん、そのスタッフがYouTubeを見たところで、僕に得はない。
その芸人のファンが一人増えたところで、何も変わらない。
けれど、自分が本気で笑った体験を共有できたら、それは嬉しい。
勧めるという行為は、押し付けではない。
体験の共有だと思っている。
そして最近、最も嬉しかったことがある。
とあるスタッフのことだ。
彼女はこのコラムの運営を担当してくれている。
僕のコラムを含め、スタッフ全員の文章に目を通し、整え、公開する。
ここ最近、仕事のクオリティが明らかに上がっている。
元々責任感も強く、意志を持って発言し、時には僕にもぶつかってくれるパワフルな存在だ。
そして毎回、僕のコラムを読んで感想をくれる。
「コラムを読んだから成長した」などと、おこがましいことを言うつもりはない。
けれど話をしていると、視座が上がっているのがわかる。
物事を自分ごとと捉え、発信することの価値を理解し、実際に行動する力がついている。
僕は多くの経験と人との交流を通して、少しずつ成長してきた。
その過程をコラムという形で発信し、毎週“おすすめ”している。
読めば、少なからず追体験ができるように構成しているつもりだ。
世の中には、本や動画で思想や経験を共有してくれる人が数多くいる。
その人物の考えを、僕らは追体験できる。
しかし、直接その発信者と日常的に接する機会は多くない。
同じ会社にいるということは、その機会が日常的にあるということだ。
これは贅沢な環境だと思う。
僕はコラムを通じてお勧めし続けている。
そして彼女は、ちゃんと受け取り、やってくれている。
やる人と、やらない人。
その差はすぐには出ない。
けれど数年後、確かに大きな差になる。
僕は、どんな人からであれ、勧められたもの・ことは必ず試すようにしている。
先日も、ある人物からこんなおすすめがあった。
「KANちゃん、これ面白いから一緒にやろう」
それは知育玩具だった。
ボタンを押すと音声と英語が流れる。
掲載されている単語は知っているものばかり。
けれど、僕が思っていた発音と少し違った。
そして気づいた。
ただボタンを押して音が出るだけで、人はこんなにも夢中になる。
この構造を食に落とし込んだらどうなるだろう。
アイデアが浮かんだ。
おすすめしてくれたのは、6歳の姪だ。
僕より40年近く経験値のない子どもから、新たな発見をもらった。
言われたこと。
勧められたこと。
それを大事にするかどうかは、自分次第だ。
実体験がなければ、活かすも殺すも判断できない。
忙しいからやらない。
意味がわからないからやらない。
自分には関係ないからやらない。
その積み重ねは、気づかぬうちに可能性を削っていく。
月に一度のコラムも、同じだ。
完璧である必要はない。
上手である必要もない。
ただ、やる。
それだけでいい。
ものやことで溢れた現代において、おすすめしてくれる人は、どんな立場であれ実はとてもありがたい存在だ。
それは体験のバトンだからだ。
受け取るかどうかは自由。
けれど受け取った人だけが、次の景色へ進める。
言われたことを、ちゃんとやる。
それは従順さではない。
未来に対する、好奇心だと僕は思っている。
素敵な未来を創造できる可能性が、大泉工場にはたくさんある。
その未来を一緒に受け取りに行く仲間を、僕は探している。
興味を持ってもらったら、ぜひエントリーしてほしい。





