ポップコーンマシンの発明者

こんにちは。メンテナンスのSakamotoです。

大泉工場ではアメリカトップシェアポップコーンメーカーの代理店をしております。

その中でも“Cretors”社はとても歴史のあるメーカーとなり、オハイオ州で生まれた菓子屋のオーナー「Charles Cretors」氏が発明した物と言われています。

ポップコーンと言えば完全にアメリカンな感じのスナックで、アメリカの映画館では当たり前のように弾かれ、どの家庭でも楽しまれるような、アメリカの文化に根付き、なくてはならないスナックの一つとも言われます。

歴史について考古学者は1000年前にペルーの墓でポップコーンの痕跡を発見し、アステカなどのネイティブ中南米文明にとってポップコーンが重要な料理であると書かれております。

実際古代文明では儀式の際にポップコーンを使って飾り付けをしたり若い女性が、ポップコーンダンス(ソウルダンスのステップの名前)を披露したりしていたようです。

ポップコーンは北米の先住民族の伝統でもあり、ニューヨーク、バーモント、ケベック出身のヨーロッパ系アメリカ人がすぐに最初のポップコーンメーカーになりました。ポップコーンは1800年代半ばまでアメリカでは一般的な料理で、ポップコーンをボウルに入れ牛乳と一緒に食べるシリアルの基となり、朝食として食されたようです。

日本にポップコーンが入ってきたのは、いつなのか調べてみると第二次世界大戦後のアメリカ軍が持ち込んだと言うような説が一般的のようです。

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そこで話を戻すと最初のポップコーンマシンを発明したのが、1852年オハイオ州に生まれた菓子屋のオーナーCharles Cretorsで、彼はピーナッツロースターマシンを自分の店に置き、ナッツの販売をしていた時、ピーナッツロースターマシンの構造見直し、使いやすさ、外観や耐久性を兼ね備え改良しポップコーンマシンを作る事に成功しました。

この機械は小型の蒸気エンジンを動力とし、熱を均等に分配して、独自の調味料を使い、大量のポップコーンを均一に製造できるようにし、多くの人が集まる場所へ移動できるような新しい設計をしました。

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1893年、Cretors は機械をシカゴのコロンビア博覧会に持ち込み、ポップコーンを無料で配ったことで、訪れた人はポップコーンの美味しさに実感し、シカゴはすぐにCretorsポップコーン販売事業の本拠地になりました。

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そして1900年に入るとポップコーンブームが始まり、大きな馬車にポップコーンなどのスナックを運び街角で購入できるよう移動できるような設計や、映画館の出現により、ポップコーンはアメリカ全土で広く消費されるようになりました。

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1910 年代、小売業者は機械を路上から店舗に移動し始めました。

蒸気動力は複雑で安全ではないと認識され、静かで空気を汚さなく効率的な電動機械の設計を進め、映画館で活躍するようになり、現代の映画を楽しみながら欠かせないスナックと言う、映画館には無くてはならない機器となりました。 映画館でポップコーンマシンを見かけたら、この話を思い出し、是非ポップコーンを食べてみてください。

ABOUTこの記事をかいた人

Yuichi Sakamoto

東京都足立区生まれ、学生の頃から乗り物が好きで某自動車メーカーへ入社。その後趣味であったオートバイに携わりたく二輪製造の道へ進みますが、食に対し興味が有り食品機械を取り扱う、大泉工場のメンテナンスとし入社。ポップコーン関連のマシン整備や修理をしてましたが、現在はGoodnature Team専属メンテナンスとして、ジュースマシンを担当しています。