これは「本当に面白い」と思えるものには待っていても、考えていても巡り合えない。

物心ついた時からポップコーンという食べ物は身近にありましたが、お菓子の中のone of themという程度の認識でした。誰にとっても、そうなのではないでしょうか?

そんなポップコーンを、現在は事業として展開しています。

2008年の秋、世間はリーマンショックで揺れ動いている最中、NYCのPenn Stationのキオスクでポップコーンを陽気に売っている現場と出くわしました。当時、日本でポップコーンを食べるシーンというのは映画館かテーマパーク、コンビニでも袋詰めのポップコーンは見られましたが棚の一番下もしくは陳列すらされていない状況。

アメリカの、しかも超大都市のど真ん中でポップコーンが売られ、それをスプリングコートを翻しながら食べ歩いている金髪の美しい白人女性を目にした時の衝撃は今でも鮮明に覚えています。

さらに、当時すでに「ポップコーンショップ」というポップコーン専門店がシカゴやNYCの超一等地で長い列を作る現象を目の当たりにしました。

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当時からシカゴの中心地ではポップコーンショップに行列ができていた。

自分は直感で「これは流行る」と感じ、帰国後すぐに事業として立ち上げるべく昼夜を問わず動き回り、結果としてアメリカ最大手のポップコーンマシンメーカーと直接コンタクトをとることに成功し、その関係は今でも続き事業の基盤を支えています。

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世界中で使われているポップコーンマシン製造メーカーでは、見たことのない機械も目にすることができる。

なぜ今でも続いているのか。それはこのポップコーンを中心としたFUN FOOD事業が「本当に面白い」と思えるから。

当時の自分は、「ポップコーンショップは日本で流行る」という儲けのみを意識し、動いていたことは事実です。しかし、初めて自分でポップコーンマシンを使ってポップコーンを弾いた時、その意識が飛び、こう感じました。

「このプロダクトは、世界から戦争をなくすことができる」

マシンにココナッツオイルとポップコーン豆、専用フレーバーを投入しスイッチを押すと、「ポンッポンッ」とポップコーン豆が弾ける楽しい音が鳴り、「フワァ〜」と食欲をそそる匂いがあたり一面にこめ、ケトル(ポップコーンを弾く釜)から「ワサ〜」と出来立てのポップコーンが楽しく出てきて、その出来立てのポップコーンを食べたらものすごく美味しい。意識せずとも笑顔を生み出しました。

こんなプロダクトを、戦争真っ只中の国に持ち込み、日々銃声を聞いて暮らすことを余儀なくされている子供達にその場で提供することができれば、銃声の「バンッバンッ」という音をポップコーンの弾ける「ポンッポンッ」という音に変えることができれば、そこにいた子供たちは将来、銃を手にするのではなくポップコーン屋さんになる。この世から戦争はなくなると本気で考えることになりました。

そして、我々の事業はポップコーンショップを運営するのではなく、そういった理念を共有していただけるお客様を増やし、下支えになるようなものに しようと考え、方向性を導き出し、現在も続いています。

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こんな弾ける笑顔を、ポップコーンでたくさん生み出したい。

様々な壁にもぶつかりましたが、動き続け助けられ、また次の壁にぶつかっても立ち向かい、乗り越えられたのは多くの仲間に支えられてのことであるのと同時に、この事業が「本当に面白い」から。

こんなに「本当に面白い」仕事に巡り合えたのは、当時、自分がなんだかよくわからないけれど動き続けていたからだと断言できます。待っていても考えていても、絶対出会うことはなかったでしょう。

先日、渋谷ヒカリエのMOV市というイベントにポップコーンマシンを持って参加しました。そこでお客様に「これは本当に人を笑顔にするモノだね」と言っていただいたとスタッフが嬉しそうに教えてくれ、胸が熱くなりました。

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2016年2月24日MOV市に初参加。

動いて動いて動き回って、たくさんの「本当に面白い」と出会っていきましょう。

この想いに一人でも多くの人が共感してくれることを願っています。

ABOUTこの記事をかいた人

大泉寛太郎

1981年生まれ。 学生時代より、イベントチームやフットサルチームの立ち上げ、BarなどでDJとして活動。 大手商業施設でテナントリーシングや営業企画、PR、広報など幅広い分野を経験したのち、2008年大泉工場入社、2012年より現職。 アジアからオセアニア、ヨーロッパ、北米、アフリカと世界中を飛び回り、地球の「今」を体感。 「地球を笑顔で満たす」というMISSIONを掲げ、日々、いかに「素敵な環境を創造するか」自問自答しながら生きている。 にゃん丸という愛猫と二人暮らし。